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二人で楽しむ趣味
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夫婦がお互いの心をふれ合わせ、一つのき
ずなで結び合う\\ということは、家庭生活を
築き上げ、よりよくつづけてゆくためには欠
くことのできないこと。
もちろん、結婚するまでに、長い交際期間
や恋愛時代をもった二人だったら、お互いの
気心もよく知れ、打てば響く気持のつながり
を作り上げているでしょうが、まだお互いに
なんとなくしっくりしないところの残ってい
る夫婦にとっては、この二人だけの場を作る
ということはハなかなかむずかしいことにな
るようです。
そこで、おすすめしたいのが、-夫婦が共通
の趣味をもつということ。
お互いが共通した一つのことに興味をも
ち、趣味をもてば、二人の間の話題や、、もの
の考え方、時間の過ごし方、努力することな
どに、お互いに入り込んでゆける場をもつこ
とができるということになります。
親近感も増し、信頼感も増し、お互いの連
帯観念がぐっと増してくるものです。
夫婦は一心同体とよくいわれますが、金婚
式、銀婚式を迎えるくらいの二人ならいざ知
らず、出発したての新家庭、若い夫婦にはと
てもそれほどの実感はまだないでしょう。長
い年月に二人が努力し合って、一心同体の気
持を築き上げてゆくわけです。
夫婦といっても、もともとは二人の他人。
ものの感じ方や考え方が違っているのは、
しかたのないことです。
1お互いが全然違う人間であってもいい
の、一つだけ同じものをもっていれば。だっ
て、相手がまるっきり自分と同じ人間だった
ら興味がわかないじゃないの。
と、話してくれた新妻がありました。
全部が全部違っていて、全く合うところの
ない二人だったら、結婚しないでしょうし、
また、したとしても、じきにケンカ別れにな
りましょう。一つだけ同じものをもっている
からこそ、結婚できたのです。
この一つだけ共通している夫婦の場。これ
をしっかりと保ってゆくのが、家庭生活をじ
ょうずに築き上げてゆくコツだといえないで
しょうか。
この夫婦の問の共通の場。二人が共通の趣
味をもつことで、この共通の場を強めてゆこ
うとするわけなのです。
共通の趣味としてはいろいろなものが考え
られますが、そのいくつかの、二人での楽し
み方をお話ししてゆきましょう。
映画
映画がテレビの影響を受けて不振だといっ
ても、ときには、映画館に夫婦そろって出か
け、テレビでは味わえない大きなスクリτン
の上で天然色の映画を鑑賞するの竜、たいへ
ん楽しいもの。
なんとなく映画を見て、その筋(ストーり
7)だけを楽しむというやり方も、たしかに
映画の一つの見方には違いありませんが、映
画の組立てを二人でいろいろ話し合って分解
してみ、その一つ一つを自分なりに系統的に
研究してみるというのも、二人で映画を見る
楽しみをさらに増してくれることではないで
しょうか。
この映画とい5総合芸術は、多くの人の力
が監督という指揮者のもとに集められ、まと
められ、それぞれの力を発揮して、一本の映
画となり、芸術的な興奮i映画のおもしろ
さを見る人に与えてくれるものです。
それで、その映画が企画されてから、完成
するまでにはいろいろな過程があるわけです
が、見る立場からの興味がもてるのは、その
映画の脚本(シナリオ)あたりからでしょう。
今は映画雑誌などに脚本が載せちれて、一
般にもそれが目にふれることも多いわけです
が、まだできていない映画を、その脚本を読
んで自分の頭の中のスクーリンで、このシー
ンはこうだろう、このシτンはこんなぐあい
になるかも知れない、と、二人でさまざまに
想像もてみるの竜、やはり映画を楽しむ一つ
の方法。
この脚本には、小説などから脚色したもの
と~その映画のためだけに書かれたオリジナ
ルー創作脚本とがあります。
日本にも、脚本だけを書くシナリオライタ
ー専門のベテランは多くいますが、-自分の映
画の脚本は必ず自分で書くという監督もいま
きのしたけいすけ
す。松竹の木下恵介監督なども、りっぱな脚
本の書ける代表的な監督でしょう。
木下監督と並んで、もう一人の代表的なグ
くろさわあきら
ランプリ(大賞)受賞監督で有名な黒沢明監督
は、その脚本を自分が中心になって四、五人
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のシナリオライターと共同で書くという形を4
とっています。これも、いい映画を作るため
〆の第一歩としての脚本を書く方法として、賢
いやり方といえましょう。
次は、監督についての興味。
あの監督が演出した映画だから、きっとお
もしろいだろう、というように、その監督に
ついての興味から映画を見る場合も多いはず
です。
監督の個性がはっきりと表現され、-みごと
な効果を出すのも、映画のおもしろさの一つ
になります。
アメリカ映画の大監督ジョンフォードの
作る西部劇は、彼ならでは出せない線の太い
おもしろさをもっていたり、日本映画でも、
みぞ
「女」を描いたら他の追随を許さなかった故溝
ぐちけんじ
口健二監督の作った映画、というようなもの
です。
しかし、多くの観客が映画を見る興味は、
出演している俳優に対する興味からではない
でしょうか。
出演する俳優たちが、それぞれの得意とす
る役がらにぴったりはまって、好演技を見せ
てくれるのは、たしかに映画を見る楽しみの
大きな亀の。
見る人自身の好みで、主役の二枚目の好き
な人もありましょうし、わき役で出た性格俳
優の好きな人もありましょう。
映画を見終わって、こうした出演者につい
て、ご人であれこれ話し合う時間をもてると
いうのも、共通した趣味としておすすめでき
るところ。
写真の好きな人なら、その映画のキャメラ
(撮影担当)や、その撮影した角度について気
をつけてみたり、音楽ファンなら、その映画
の音楽を楽しむ、というように、映画を見る
楽しみという電のは、それを見る人自身の興
味につれて、いくらでも楽しみ方が生み出さ
せるものです。
また、昨年(一九五九年)あたりから、フラ
ンス映画界に起こったヌーベルバーグ(新
し焔波)という類しい映画の息吹きが日本に
およんできました。内容の上からも、表現技
術の上からも、古いしきたりにとらわれず馬
清新な映画を作るこの傾向が、今後どんな発
展を見せてゆくか。
符Nり映画などという巨大な規模の映画の
流行とともに、これからの映画を見るうえで
の興味になるかも知れません。
たとえば、こうしたヌーベルバーグの作
品の一つといわれる「太陽の墓場」(松竹大
しまなぎさ
島渚監督作品)という作品では、舞台になっ
ているのが、ある都市のドヤ街です。
そこに最下層の生活をしているバタ屋、コ
ソ泥、テキ屋、売春婦などの動きから、どう
にも抜け道のなくなった現代生活の混乱を、
どうしたらいいんだ、というように描いてい
ます。
そこに行動的に生きている少女と、家出し
てテキ屋のなかまになる少年とが、この映画
の主人公。少年が死に、テキ屋の親分も死に、
少女の住んでいる部落も焼けますが、少女は
またたくましく生きてゆくのがそのラスト。
「ヌ}ベル」は「新しい」、「バーグ」は「波」の
ほかに「あいまいさ」という意味もあるそうで
すが、この映画を見終わったあとでも、強い
感銘とともにある種の混乱が残るようです。
こうした混乱㊨受けとり方でも、話題は尽き
ないでしょう。
また、どんな映画を見疫らよいかというこ
ともありますが、やはり映画は見て楽しいも
のであるのがほんとうで、これはよい映画だ
からぜひ見るべきだ、というのではあります
まい。
見る人がどんな映画に興味をもつかによっ、
て、見る映画が違ってくるのが当然。二人で
興味のある映画を選んで、それを見終わって
からあれこれいったり、または、お互いに見
る映画の希望を述べ合って小さくすねてみせ
るのも、二人で映画を見る楽しみかも知れま
せん。
結局は、自分は自分なりに「映画を楽しむ」
というのが、映画鑑賞のいちばんよいやり方
だと思います。
この、いかに映画を楽しむかという方法に
ついても、お互いにいろいろ話し合うという
楽しみがふえるかも知れません。
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